usoと家族

9月17日

 

姉が先日家出をした。

 

お世辞にも、私の家庭環境は良いとは言えない。

だけど、これを不幸と思ってもいないし、哀れんでもいない。

どこの家庭にも少なからず問題はあるもので、私にとってはこれが普通なのである。

 

一週間ほど前に姉が自宅に警察を呼んだ。

出先で姪から泣きながら電話があり、何を言っているか分からず姉に電話した。

姉と姪の喧嘩は日常茶飯事で、それを父が止めに入り更に悪化して最悪な状況になるのがデフォルトである。

状況を聞くと、いつも通り喧嘩が始まり、姪が暴れ出し姉を殴り、止めに入った父が姪の顔面を殴ったのだ。

それに恐怖を感じた姉が、警察を呼んだらしい。

 

こうやって書くと、姪と父が全ての原因のように思うが、根本的な元凶は全て姉なのである。

暴力はいけない事だし、それをまた暴力で制するなんてあり得ない話だ。

ただ、姉は人を逆撫でする天才だ。

それは小さい頃から、私が身を挺して経験してきた事である。

人を怒り狂わせる才能がある、というかわざとやってるのではないかと心から思う。

暴力を訴えられる以前に、姉のことばの暴力に家族は耐えてきたのだ。

確かに、血の気の多い家族で喧嘩が喧嘩で済まないのは生まれてこの方ずっとだった。

 

私が警察と電話で話して出先から戻ると、家族全員で警察署に行く事になった。

既にこの時、警察の人も姉に問題があると感じていたらしく(姪を施設に入れると連呼していたらしい)警察署に言ってからも、姉のおかしな言動が続き、警察の人が手に負えず私が直接説得する事になった。

 

姪は姉以外に癇癪を起こす事はないし、父も私に暴力を振るう事などないし、通常は姪に手を上げる事などない。姉が外出している時は、家はいたって平和なのである。

それなのに、姪だけ施設というのはおかしい。

もう高校生ではあるが、子供は子供なのだ。

姉が私たちと生活するのが辛いなら、姉だけ別で暮らす選択肢もあると伝えた。

(実際には、長年蓄積されたフラストレーションでブチ切れて暴言を吐きまくったが)

姉は納得はしなかったが、事は一旦収まった。

 

その日は警察の指示で、姉と離れるという方向で私と姪と父はホテルに泊まる事になった。

そんな事があり、当たり前に寝れるはずもない中、姉から夜中に永遠にLINEが来て宥めるという作業をしていた。

その時に、今後は姉だけ別で暮らすという話と、姪が18歳になるまでの養育費は払うという方向でまとまったが、数日後音信不通で家を出ていってしまった。

 

もう頭がいっぱいだ。

 

家を出ていくのは構わないが、姪の事だけは母親としての責務を果たして欲しい。

はっきり言って姉はネグレクトなのである。

発達障害があり、出来ない事が多数あるのは理解しているが、それとは別に責務を果たさず好き勝手されるのは本当に辞めて欲しい。

というか、姪が産まれてからずっとなのだ。

そんな中、考え事が重なりすぎて、初めて事故をしてしまった。完全に自分の不注意だ。

姉の事は慣れっ子だと思っていたのに、大分くらっていたのだと思う。

一昨日、恋人が通勤途中、自転車から落車して怪我をした。

背中と腰を殴打したらしく、心配になって夜家まで行ったが、結果痛みで辛そうな時に、関係ない事をいつもは気にならないのに神経質になっていて色々言ってしまった。

 

完全に余裕がなくなっているのだろう。

 

少し前に「uso」という嘘を題材にしたアンソロジーを読んでいた。事実なのか嘘なのかは、読み手の受け取り方に任せるという、不思議な魅力がある本だ。

発行人の野口理恵さんは、自分自身の家庭環境について書いていた。

野口さんは、中学生の頃母親が自死をし、その数年後父親を病気で亡くしている。

そして、数年前には兄も自死をしているのだ。

読んでなんと表現したらいいか分からない感情になった。

 

「お母さんに会いたい。お父さんに会いたい。お兄ちゃんに会いたい。さみしくてさみしくて、さみしくてさみしくて、本当はもう耐えられそうにない。手を握って欲しい。抱きしめて欲しい。名前を呼んで欲しい。声が聞きたい。四人で顔を見合わせて笑ってみたい。平凡でいいから、普通でいいから、あの家でもう一度、家族を。」

と最後に書かれていた。

 

私には分からない。

野口さんの父親は酒癖が悪く、外で女を作り、少なからずともそれが原因でお母さんは自死を選んだと書いてある。

私の母も数年前にくも膜下出血で突然いなくなった。かなり大きな腫瘍だったらしい。

原因は色々あると思うが、姉の問題とそれとは別に父の分まで無理をしてきたからだと私は思っている。

私は家族の中に、恨んでいる人が二人いる。

これはきっと死ぬまで消えない事だと自信を持って言える。

私は野口さんのように、絶対に思えない。

だからか、自分と正反対の感情を持つ野口さんを羨ましく思う。

私の中のこの消しても消しても消えない感情を、出来れば消したいのだ。

 

嫌でも生活は続く。

とりあえず、関係のない人には迷惑はかけたくない。当分頭を冷やそうと思う。

頭の冷やし方も、生活の楽しみ方も、今は分からないけど。

 

 

気功と小栗旬

 

9月7日

 

世間ではあいも変わらず胸糞悪いニュースが毎日流れている。

 

Twitterのタイムラインを見る度に舌打ちをしてしまう。その中でも一ヶ月以上取り上げられている宗教問題。

 

ちなみに私は無宗教です。

だけども、宗教学や死生学には興味があり、何冊か本も読んだ事がある。

仏教入門はみうらじゅんの「マイ仏教」だった。

宗教の歴史しかり、宗教の上での人間がある様は人の不思議さが絶えず続き、生きる上で切り離す事が出来ない魅力を持っていると思っている。

私は身を挺して宗教の不思議さを体験した。

 

私は生まれてこの方、見知らぬ人に三度気功をかけられた事がある。

 

正確には一度はかけられ、二度回避した。

 

最初にこの体験したのは、学生時代に派遣ホステスのバイトをしていた時だった。

中心地にある、クラブやラウンジ、会員制のお店に短時間ホステスとして派遣される高給アルバイトだった。

ある時、数回行った事のある会員制のお店に派遣された時の事。

そのお店はいつも暇で、お客さんがゼロの時もあり、ママと談笑して終わるという記憶しかなかった。

その日お店に着くと、見かけない女の子がいて後から聞くと直属のホステスさんだという事が分かった。

いつも通りお客さんは来ず、ママと談笑したり、カラオケの画面をぼーっと見ながら時間を潰していたら、ママがお使いに行ってくるとお店を出た。

その後すぐ、直属ホステスが急に話しかけてきて、(何を話したかは覚えていないのでたわいもない話だったと思う)徐に「肩って凝ってない?」と聞いてきた。

高身長で猫背だった私は、肩凝りユーザーだった。

「結構凝ってますね。」と普通に答えたら、

「私、肩凝り治せる力持ってるの。」と言い放ち、は?と思ってる間もなく、気功を私の肩にかけてきた。

あの、ドラマや映画やゲームに出てくる気功である。

私は頭の中にはてなが連発し、フリーズ状態になり、かけられるまま気功を浴びていた。

気功が一通り終わると、「どう?軽くなったんじゃない?」と言われ、流されるままに「すごい楽になりました!肩が温かいです。」となぜかありもしない事を答えてしまっていた。

完全にテンパっていたのである。

その後、気功の説明やら力の身につけ方などを話して来たが、完全にテンパり状態の私は何を言われたか覚えていない。今考えると勧誘的な事を話して来たんじゃないかと予想される。

その時、ママが帰ってきて、直属ホステスは何事もなかったように、私から瞬時に離れて行った。

その日は何が起きたか処理が出来ず、頭は終始フリーズ状態で後にお客さんが来たかどうかも覚えていない。

帰り際、ママにこそっと電話番号を渡された。「何かされたらいつでも連絡して」と言われた。

直属ホステスはどれだけ被害を出していたのだろうか。幸いな事にママに連絡する事は無かった。

二度目はそれから数年して、地下街の店舗に配属されていた時の事である。

休憩中、地上に出てタバコを吸っていたら見知らぬマダムが話しかけてきた。道を聞かれる事はしょっちゅうだったので、そのつもりで返事をしたら、「あの、肩って凝ってないですか?」と聞かれた。

私は、咄嗟にあの時のあれだ!と思い出し、「大丈夫です。」と答えた。それでも食い下がらずマダムは、「困ってたらお助けしますよ。」と言ってきた。私は「本当に大丈夫なんで。」と駆け足で地下に降りる階段に向かった。

まただ!何故皆私に気功をかけたがるんだ!

その時左手には栄養ドリンクを持っていたから、そのせいかもしれないと後から思った。

三度目はショッピンモールの店舗に配属された時だった。

ベビーカーを引いたお客さんがお友達と来店していた。一通り接客して、試着する事になり、試着室に案内した時、「お姉さん肩って凝ってないですか?」と聞かれた。

またか!こいつもか!赤ちゃん連れてるのに!

と過去の気功ーズ達を思い出し、「私、全然肩凝りないんですよ〜。」と笑顔で対応した。

バッキバキの肩凝りユーザーですが。

 

気功ーズ三人に共通するのは「肩凝ってないですか?」である。そんなに肩凝り顔なのか、私は。

確かに当時は猫背で姿勢も悪かったけれども、何故私なんだ!

ちなみに、この話を友人や知り合いに話しても同じ境遇の人に出会えた試しはない。

もはや、気功ーズは都市伝説なのかもしれない。

その後猫背と姿勢を治してからは(気功ーズがきっかけで治した訳ではない)一度も遭遇していない。

 

ちなみに、催眠術もかけられた事がある。

正確にはかけられたふりをした事がある。

 

知り合いのバーで飲んでいた時、普通の男性二人組に声をかけられた。

適当にあしらっていたら、「俺ら催眠術出来るよ。」と言ってきたので面白くなってかけて欲しいとせがんだ。

好きな芸能人は誰か聞かれたので、小栗旬と答えた。

よくある、数をかぞえたらうんたらかんたらと言って催眠術をかけてきて、目が覚めたら目の前に小栗旬がいると言ってきた。

当たり前だが、全くここまでかかっていない。

で、いざ目を覚ますと、小栗旬など当たり前にいる訳見える訳もなく、普通の男性二人組のままだった。

とりあえず乗っかっておこうと悪知恵が働き、「え!旬くん!なんでいるの!!」と大袈裟なリアクションをしてみた。

そしたら、小栗旬を装った男たちは小栗旬として口説いてきてお持ち帰りをしようとして来た。

私には全て見えているので、(というか小栗旬なら持ち帰れると思ったのかよ)

「自分の家に帰ります。」と普通に断った。

そしたら、また数をかぞえたらうんたらかんたらで眠らされ、その間男たちは「どうする?どうする?」と相談し始めた。

当たり前だが、その光景も全て私には見えている。

何度か適当に乗っかる、自宅に帰りますと断るというやり取りをして、さすがに男達は諦めた。

 

このエセ催眠術男達に、かかって持って帰られた女は果たしていたのだろうか。

典型的な悪質な行為である。本当に催眠術師がいたとして、このような行為をしている輩がいたらきつく取り締まって欲しい。

 

宗教にすがる気持ちは、分からなくもない。

人は誰でも、背中を押して欲しいし、大丈夫だよと言って欲しいものだと思う。

気功ーズ達のように、自分は特別な人間なのだと思いたい気持ちも分かる。気功が自信に繋がるかは定かではないが。

初めは、誰かを助けたいだけだったかもしれない。誰かを助ける事も承認欲求のひとつだと思うから。

最近仕事から離れて、姿勢が悪くなってきたのでそろそろ四人目の気功ーズに出会うかもしれない。そしたらまた報告しようと思います。

手を繋ぐということ

9月3日

 

恋人がコロナに感染した。

 

火曜日の朝に、恋人からすこぶる体調が悪いと連絡が入った。

体調を崩した所を初めて目にして転勤になって間もないのにと、とても心配になりすぐ家に行くつもりで返信をしたら、市販薬を飲んで一旦は落ち着いているから大丈夫と返って来た。

せっかくの休日を体調不良だけど一人で過ごしたい気持ちもあるだろうと思い、何かあったらすぐ行くので何時でも連絡下さいと返信した。

夕方、様子を聞いたら状態は変わらないようでとても辛そうだった。

コロナかもしれないし、うつす可能性もあるからと言われたけど、流石にほっとけないというか、返信をする前に支度をしていた。

今日飲んだ市販薬を聞いて、即効性のある薬と必要な物を買って急いで向かった。

着いた時に連絡したけど返信がなく、合鍵で入っていったら苦しそうにベッドで寝ていた。

(合鍵についてはまたの機会に掘り下げたいと思う)

身体に触ると明らかに高熱で、測ってみると38度6分。スポーツドリンクとエネルギーゼリーを食べさせ、薬を飲ませた。

 

私が来てから彼はずっと私の手を握っていた。

 

彼は日頃からベタベタするタイプではない。

天邪鬼な性格なせいもあり、言葉にはしなかったが、本当は辛かったんだろう。

余程ひとりが心細かったんだろうと、手を強く握り返した。

 

その日は時間も遅い為、明日様子を見て病院に行く事にしようと話をして帰宅した。

翌日、熱も微熱まで下がり、症状も軽くなっていて少し安心した。念の為検査を受けれる病院を予約し、結果が分かるのは次の日になった。

布団に横になり、眠る時、彼はまた私の手をずっと握っていた。彼なりの精一杯の甘え方だったのかもしれない。

 

不謹慎だが、過去の恋人達のほとんどが手を繋ぎながら眠る人達だった事をふと、思い出した。

 

つい先日、ひと棚の選書に合わせて伊藤亜紗さんの「手の倫理」という本を読み直していた。

人に接する時の「さわる」と「ふれる」の違いについて考えた内容になっている。

大まかに言えば、「さわる」が一方的で「ふれる」が合意という考え方で進められていく。

 

じゃあ、手を繋ぐということは「さわる」なのか、「ふれる」なのか、どちらなのか。

一方的に手を握れば「さわる」なのか、

受け入れられていれば「ふれる」なのか。

 

恋人はきっと「さわる」ではなく、ふれたかったんではないだろうか。

 

私も毎晩愛猫と手を繋ぎながら寝ている。病気になり、実家に帰る事になった頃から自然と一緒に寝るようになり、いつからか手を繋いでいた。

 

「ふれる」というのは「さわる」と違って安心感や安らぎが伴っているように思う。

その安心感の中には、「ふれる」の考え方同様に受けいられているという絶対的な要素が含まれているように思える。

恋人も私も手を繋ぐという事で、弱った自分を受けいれてくれている存在を確かめていたのかもしれない。

過去の恋人達も毎晩確認作業をしていたのかもしれない。

 

手を繋ぐということは、安心感や安らぎ、それと同時に不安を拭う行為なのだと思った。

思い出せば、映画やドラマの手を握るシーンでもそう捉えれる要素は沢山ある。

反対にそれだけ人は、年齢や性別関係なく色々な場面で不安を抱え、手を握る、握られる事に救われているのだと思った。

 

ただ、過去の恋人達は何故眠る時に不安を拭おうとしたかは謎である。

思い当たるとしたら私自身が不安を与えていた可能性である。それについてはまた今度書こうと思う。

 

 

 

 

モンスターと暗証番号

2022年8月28日

 

今日は新しいテーマとして選書した本を、私設図書館もんさんへ並べて来た。

 

もんさんは私の憩いの場である。

空間は勿論のこと、コーヒーも絶品で店主とお手伝いさんと話す時間が何より今の自分には必要なのである。

 

今日話した内容をここにも書き留めておきたいと思う。

 

皆さん、パートナーのスマホを見た事、もしくは見られた事はありますか?

 

私は自他ともに認めるモンスター製造機である。

 

今までお付き合いして来た人が九割九分モンスターに変貌するのである。

理解し難い事案が大多数起きてきた。原因は未だ不明。

 

過去のモンスターに関しては、日の目を浴びずともいつか自伝として昇華したいと思っている。

 

そのモンスター達は100%スマホもしくはガラケーを見てきた。

 

あるモンスターは、当時ガラケーの機能でメール転送という物があり、私宛に来るメールを自分のガラケーに届くように勝手に設定をしていた。

あるモンスターは、ある時スマホを触ろうとしたらロックがかかっており、問いただしたら何度かロックを解除して中を見ようとしていた。

怒ったにもかかわらず、それが何回も繰り返された。

 

私は他人のスマホを触るという概念が全くない。

欲もないし、見たいと思った事など生まれてこの方1ミリもない。

私にとって過去のモンスターの行いはミステリー、いやホラーでしかない。

 

以前、職場の同僚が自分のスマホ指紋認証を恋人と共有していて、恋人が勝手にその同僚のスマホを見ていると話してくれた。その子は普通の出来事のように話していたが、私には衝撃すぎて恐怖でしかなかった。

その衝撃を当時の恋人に話したら、

「それだけ信頼しあってるって事なんだね。」

と言い放った。

 

私の頭はパニックである。

この人とはもう何も分かり合えないと悟ってしまった。

(言うまでもないが、この人もモンスターとなり別れ方はトラウマラベルである)

 

むしろ信頼していないからスマホを見るという行為に発展するのではないか?

私がおかしいのか?世のカップルは今時普通なのか?

全く分からない。誰か納得出来る理由をプレゼンして欲しい。

近年、追跡アプリなどという位置情報を共有するものが出来、その時の衝撃もとてつもなかった。

個人情報とは何なのか、ホラーでしかない。

 

先日恋人が私のスマホの画面をトントンしていた。ふざけていただけだろうが(そう思いたい)過去のモンスター案件から神経質になっているので少しざわっとした。

私はパートナーであろうがずっと他人でいたいのである。ある程度の距離を保ち、境界線ははっきりしておきたい。

スマホという自分の頭の中を体現したような物を触るという行為は、私の中の倫理感に反するのである。

勿論、価値観ありきの話だから、ズレがあるのは仕方がないのは承知である。

だけどもホラーなのである。長年解決出来ていないミステリー作品なのである。

 

スマホを見るという行為の定義を誰か教えて欲しい。

下着と搾取と喫茶店運

 

日記と無縁な人生を送ってきた私だが、

数日のフラストレーションが積み重なり

日記を書いてみる事にした。

 

2022年8月23日

 

次のステップに進もうと決め、以前から気になっていたテキストを取り寄せた。

ピンクリボンアドバイザーという資格がある事を知り、これからの自分に必要不可欠な物であり

目指したい一つでもあると思い資格取得を目標に勉強に励む事にした。

(ピンクリボンとは乳がん検診受診を促す活動)

もはや勉強は趣味なのかもしれない。

 

朝からうきうきで近所の喫茶店に行き、

黙々と勉強を始めた。読み始めるとやはり興味のある題材なのか、とても楽しい。

側から見たら目がキラキラしていたと思う。

 

その矢先、お馴染みミソジニーリーマン達が入ってきた。最初は一人だけだったのが、次々と増え最終5人にもなっていた。

テンションは下がり、集中力が切れ切れの中

まだやれると自分を奮い立たせ勉強を続けていたが何か視線を感じ、横の席のミソジニー1号を横目で見るとテキストを覗き見していた。

一気にやる気は失せ、ため息をつきながら喫煙スペースへ逃げ込んだ。

イライラが募る中、自分の席に視線を向けると

ミソジニー1号が身を乗り出してテキストをまじまじ眺めている。

 

頭の中で何かがキレ、席に戻り荷物をまとめて

急ぎ足でお店を出た。

 

車の中でわーーーー!っと叫びたいぐらい

ちゃぶ台返ししたいぐらい腹が立った。

 

たまにツイートしてたが、私は本当に喫茶店運がない。このミソジニー達とも会うのが何回目だろうというぐらいの遭遇率である。

ちなみにミソジニーの由来は、最初に遭遇した時に大声で社内の女子社員ランキングを決めていたからだ。

 

たまたまいつも同じ店だから仕方ないのかもしれない。

だけど、どこの喫茶店に行っても同じような事が起きる。

 

隣で不倫相談しながら泣き始める女性、カップルがバイトの子に理不尽なクレームを入れ出す、

お金を貸して欲しいと嘆願する老婆、電話で身売りの交渉をしている中年女性、宗教勧誘などなど

思い出せばきりがない。落ち着いて本が読めた記憶がない。

恋人と先日行った喫茶店では、仕事帰りのOLさんが、最初から最後まで泣き続けていた。

気になって仕方がない。

 

苛立ちを抑えられずも帰宅してから、過去を振り返っていた。

 

よく考えたら今日みたいな事は初めてではない。

下着業界に携わってる間、ずっと今日みたいに

晒され、搾取されて来た。

 

初対面の男性に職業を伝えると、ほとんどが

いやらしい目で見てくる。酷いやつは、着けてる下着の事まで聞いてきた。シンプルにセクハラだ。何を想像していたのだろうか。

お店に変態電話があるのも日常茶飯事で、商品の問い合わせと見せかけて、

最後は「お姉さんはどういうの履いてるの?」と

聞いてくる。

 

ほっといてくれ。

 

さらに酷いやつは、声が気に食わなかったのか

出た瞬間に切られる。

 

低い声で申し訳ございません。

 

だいたい変態電話の主達は土日の午前中にかけてくる事が多い。

 

もっと健康的な遊びをしろ。

 

電話だけではない。

お店にも現れる。

入口のマネキンの鼠径部を毎日触って通り過ぎるやつ、スリップ一枚で現れる女装家、コートの下は全裸というマダム。お姉さんと下着に興味があるので名刺下さいと言ってくる好青年風のやつ。

 

今考えたら、面白いけど恐ろしい。

 

なぜ下着の販売というだけで、勝手にイメージをつけられるんだろうと、いつも疑問に感じていた。

「エロい、軽い、遊んでる」

もうここまで来るとよく分からない。

 

今日勉強していたのはエロなんかじゃない。

医学です。

女性の身体を、エロに持っていかない

男性がどれだけいるのだろうか。

下着業界にいると

ジェンダーやLGBTQ、フェミニズム

架空の世界なのかとたまに錯覚する。

それだけ、女性搾取は身近すぎる。

 

篠山紀信の展示を見に行った時に

中年男性グループがチラチラ見て来たので

反対にこちらからガン見してやった。

京都に行った時、バスの前の席の中年男性が

スマホでアダルト画像を見ているのが丸見えだったので、ずっとガン見してやった。

視線に気づいたのか、目があって罰が悪そうにしていた。それでもガン見を続けた。

 

こうやって、いつも反抗して来た。

どちらが悪いとかではない、シンプルに

気分が悪いのだ。

 

たぶんまた同じ喫茶店に私は行く。

ミソジニーが来るから行かないという選択肢は

私には無い。逃げる事が苦手だから。

久しぶりにこういう事が起きて動揺したけど

次回も同じ事をして来たらガン見してやる。

 

見たければ見ればいい。

同じ時間だけこちらもガン見してやるから。